ぬぬさぁーの話

  • vol.05

    ちいさな職人たち

    作業の合間に楽しげな落書きを見つけることがあります。
    経糸を巻き取る際に挟み込む厚紙なのですが、機の周りで遊んでいた子供が見つけた、多分ちょうどよい紙です。

     

     

    大城幸司の叔母にあたるMさん、糸と布の中で育った‘うやー’としても大先輩です。無邪気な落書きを見ていると、Mさんから聞いた子供時代の話を思い出しました。

    一家にひとりは織っていたと言われる頃、路地を歩くとあちこちから機の音が聞こえ、分業作業の様子も其処彼処で見られたアメリカ統治下での大隆盛期。
    子供達は目の前に長く長く張られた糸にいたずらすることもなく、手伝いを急かされるわけでもなく、各々自然と家業を手伝っていたそう。
    足が届けば機にも座り、染め以外はひととおりできたといいます。

     

     

    中でもイーチリーハンサー(絣の糸解き)は子供達の得意な仕事。
    ひとつ解いてだいたい5セント(当時パンとコーラが買えるぐらい)、大量にかけてある糸束の中から、ちょっと高いお小遣いをくれる細かく難しい絣柄がかけてあるのを見つけると、真っ先に飛びついていったとか。
    兄弟の間でスピードを競いながら、作業を綺麗に仕上げるための道具の工夫やアイデアを考えることも楽しかったそうです。

     

     

    作業をする場でもあった路地は、今は「かすりロード」として整備もされましたが、見通しのよい明るい路地の光景はそのまま。方々から聴こえる機の音の間を駆け抜ける子供達の声が聞こえてきそうです。

     

     

    Mさんはとても話し上手。

    生き生きと、とても臨場感のある語りをどれだけ書き留められるかなのですが、折々にご紹介させていただこうと思います。

     

    (うやー  眞島 薫)

    *ぬぬさぁーとは布を作る人という意味の方言です。

    産地として栄えた南風原は分業制。工程に携わる人それぞれに呼び名があります。

    織り手は、”うやー”。

     

  • vol.04

    70年の機

    先日、私が使わせてもらっている機の修理に機屋さんに来ていただいた際のこと。

    一目見て「これは70年くらい前の機だねー」と。

    作りやサイズなど年々改良が重ねられているため、いつ頃に作ったものか制作年代はすぐわかるのだそう。

     

     

    70年前といえば、1950年代。

    戦後の復興期、南風原が織物産地として息を吹き返した時期。

    その頃に生産の強化と拡大を図るため技術や道具にも次々と工夫が加えられた、と聞きましたが、織り段が出にくいようにつけられているオモリも、その力強い時代の痕跡なのでしょう。

     

     

    織りながらも細部のキズのひとつひとつにも思わずじっと見入ってしまう時があります。

    この機はどれだけの生活を見て、支えてきたのだろう。

     

     

     

     

    機屋さん曰く、南風原ではこれと同じ型のものがまだ数台、現役で使われているとのこと。

    そしてあと20年は使えるらしく。

     

    目に見える風景は変わっても、変わらないのは機の音。

    先輩達のリズムを追い、織って、織って、織って織り続けたら、わかることが沢山ありそうな気がします。

     

     

    (うやー  眞島 薫)

    *ぬぬさぁーとは布を作る人という意味の方言です。

    産地として栄えた南風原は分業制。工程に携わる人それぞれに呼び名があります。

    織り手は、”うやー”。

     

  • vol.03

    復元仕事のこと

    1月28日から2月末まで私たちが携わった復元事業の巡回展が開催されました。

     

     

    今回依頼された着物は表地と裏地があり、丸正は表地を制作しました。

    表地・裏地ともに単糸の綿。
    単糸は切れやすく大変です。切れては結びの繰り返し。

    さらには表地は地機で経緯絣を織るということで、初めての試み。
    試行錯誤を繰り返す作業に追われるばかりで、製作当時の細かな記憶は正直なところほとんどないです。

     

     

    苦労の果てに反物が仕上がって、「当時の人は必死だったんだな」が僕の感想です。

    もちろん技術的にも凄いなと感じることはありますが、昔の着物などを見ると「生きるために必死だったんだ」と感じます。

    投げ出したいけど、、、最後まで織りきって布にする行為に必死さが伝わります。

    この糸を無駄にしないように___。

    その過程で色々知恵が生まれたり、新しい技術が生まれてきたのではないかと思いを馳せました。

     

     

     

    上の写真はロウソクで糸の滑りを良くしています。
    糸が毛羽立って捌きが悪い時に、オバアたちはロウソクを使って滑りを良くしていました。

     

     

     

    地機で織りを担当した上原さん。

    1日に10センチ織れない日も多いなか、コツコツと最後まで織り上げました。

    腰が痛いからと、座る位置を少し高くしていました。

    一生懸命、必死に向き合うから知恵が出る。

    地機から高機に移行していくのも、自然な流れだったんだなと思います。

     

     

     

     

    『木綿紺地絣衣装』

    裏地制作 /琉球絣と南風原花織保存会
    ・大城 幸正(南彩工房)・大城 美枝子(南彩工房) ・大城 進
    ・伊敷 美千代(織工房 由) ・大城 美枝子(手織り工房 おおしろ)
    ・大城 トシ子(手織り工房 おおしろ) ・湧川 清美(手織り工房 清)
    ・平田 和子

    表地制作/丸正織物工房
    ・大城 幸司 ・上原 優子 ・赤嶺 緑 ・大城 友子 ・眞島 薫
    ・協力 城間びんがた工房

     

    先行きが見え辛い時期に、昨年に続いて今回の展示会を開催頂いた関係者の皆様のご尽力に心から感謝致します。

     

    (大城 幸司)

    *ぬぬさぁーとは布を作る人という意味の方言です。

  • vol.02

    てぃーへーさ美さ

    産地組合での括りの研修を受けていたときの話です。
    括りというのは糸を縛って染料が入らないように防染し、柄の部分を作っていく絣織物の根幹となる作業です。
    括りと一言に言ってもその前の図案から種糸とり(緯絣の元となる糸)、整経、経絣の糊張りなど工程は多岐に渡ります。そこで失敗してしまうと最後まで影響が出るので慎重に作業します。
    失敗しないよう丁寧にと慎重に作業していると講師の先輩職人から『てぃーへーさ美(ちゅら)さ』の言葉を教えてもらいました。

    「手が早い人は仕事がキレイ」という意味です。

    某パティシエの動画を見たときに、同じようなことを話していました。

    ロールケーキのクリームを塗る作業の時、「丁寧にやろうとすると上手くいかないよ、ある程度手早く、パッパとやると仕上がりもキレイになるよ。」

    作るものは違っても通じる部分は多くありますね。

    『てぃーへーさ美さ』
    南風原ではそういった教えが多くあります。

    先人たちが積み重ねてきたことが言葉として残っています。

     

    (大城 幸司)

    *ぬぬさぁーとは布を作る人という意味の方言です。

  • vol.01

    一布二布(チュヌータヌー)

    『一布二布織りなさい』
    この言葉は僕が織りを始めた時に、オバアから言われた言葉です。
    13メートルという長さの着尺を織る際、順調に進まない時が多々あります。

    経糸が切れたり、絣を合わせるために微調整をしたり、他にも気にかけることが沢山あります。

    気持ちは一日に2メートル3メートルを織りたいんですが、中々思うように行きません。

    頑張っても1メートルが限界で、イライラする日々。
    ある日そんな僕のイライラを見て、オバアが「あんたは一日に2メートルとか3メートル織ろうとしてるんでしょ? そうじゃないよ。一布二布織りなさい。」と声をかけてくれました。

    一布二布とは長さにすると20センチくらいのこと。
    「一日に沢山織ろうとしないよ。出かける前の5分とか作業の合間の10分とか機に座って一布織るんだよ。そしたら一反織り上がるから。」

    それはオバアも昔から親に言われてきた言葉だそうです。
    この言葉を聞いてから僕の織りの仕事に対する姿勢が変わったように思います。

    目の前の一布二布を織ることに集中する。コツコツ積み重ねれば一反になる。時間がないから織れない(できない)ではないんだなと。
    人生訓のようで、今でも丸正の仕事の中で大切にしている考え方です。

     

    (大城 幸司)

    *ぬぬさぁーとは布を作る人という意味の方言です。

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